ERIKO&WAKOのマッターホルン(4778m)登頂記


1998年8月8日〜16日
阪上(記録)・杉本


 山行報告を書くのは、私の担当になっていたのになかなか書けずに今日まで来てしまった。(相棒よゴメン)もうすぐ次の夏がやって来ると言うのに・・・・・・。
書かなければ私達の夏は終わらない。薄れかかった記憶を辿りながら書く決心をする。


【登ろうと思った】の巻

97年、この年の夏モンブランに登った。この時、相棒のERIKO嬢はイタリアのドロミテヘ。エギーユ.デュ.ミディ,グランドジョラス,ドリュ峰等のシャモニー針峰群。メール.ド.グラスの大氷河、白き湖ラック.プランの絵ハガキのような光景等々・・・・・・。
ヨーッパアルプスの雄大な山塊に圧倒され魅了された。
秋も終りに近い頃、心の深ーくに、何やらフツフツと沸き上がるものが・・・・。
98年の1月。
「マッターホルンに行かない? 二人で。」
「うん、行こうか。」
ビビリとイケイケの二人のこと、すぐに話はまとまり7ケ月先の飛行機を押さえたのでした。


    どう〜すりゃいいの〜〜♪♪
【思案橋になったビューティーペアー】の巻
 
さて、行くと決めたものの何から手を付けたらいいのやらサッパリ解らない。取りあえず、経験者の話を聴くことにした。さすが労山!実力派の先輩にこと欠かない。色々アドバイスを受けてみるのだが、それぞれに意見の分かれるところ。未熟な2人は益々頭を悩ますことと相成った。

〔ビューティーペアを悩ました項目〕とは
@靴は?(革靴 or プラブーツ?)
Aザイルは?(太さ,長さ,本数)
Bピッケル or ストック?    
C高度順応は? 
Dトレーニングは?
Eガイド付きかガイドレスか?
 さあどうする?
この一見しょうもないような事が、成功の鍵を握るのだと大いに頭を悩ましたのでした。

 結論は
@プラブーツ(大いに迷った項目)
A8mm/50m/1本
Bピッケル(当然でした)
C日本--富士山(3775m)
  現地--ブライトホルン(4164m)
D後章に記述       
Eガイドレス(最後まで悩んだ項目)
女の自立=私達のテーマ
のはず、ここはいっちょガイドレスで浪速女のど根性を見せてやろうじゃな
いか。


【目から鱗が落ちた】の巻

 さあいよいよトレーニングの開始だ!!と意気込んでみたもののこれと言ったトレーニングもしないまま、5月,6月と過ぎて行った。
 6月のある日曜日。道場の駅でポッポの[杉山,白形]の両氏に出会った。彼等連は同時期マッターホルンの北壁を狙ってた。(私達と違って彼等達の実力では当然。しかし、休暇の都合で断念せざるをえず、無念の涙を流されたのでした。)
その彼等達から「今度の日曜日、蓬莱峡で一緒にトレーニングをしませんか?」とのお誘いを頂いた。
「残念だけど来週、中級コーチ研修で小太郎なのよ。」
「そんなもの今さらクラックに手を突っ込で何んになるの?」
「え?・・ちょっとでも登っておこうと思って・・・・。」
「それよりも、1に体力、2に体力だよ。蓬莱峡の壁をプラブーツで20回連続登下降した方が、余程トレーニングになるよ。ヘルンリから高度差1200m余り登るだろう。50m(ザイルの長さ)×20回で約1000m分登ったことになるよ。」
標高4778m,高度差1228m(ヘルリHから)。これは体力勝負だったのだ。
   ガーン!!    あっ痛−。
一瞬にして頭を叩きのめされたのでした。
゛そうなのだ!体力の前に技術などありえないのだ。"


【モルモットになった2人】の巻

かくして、2人は基礎体力づくりに勤しんだのでありました。
6月の次の日噂日、2人はユマールとプラブーツを持って、いそいそと蓬莱峡に出かけた。正面の壁にザイルをフイックスしてユマールで交互に登る。登ったら右側の緩斜面を降り、沢の水でタオルを濡らし首,顔,頭,を冷やしてまた登る。
時折、悪魔が囁く。
「もう止めようよ。」
「しんどいでしょう? 日射病になるよ。」
「20回も登らなくてもいいんじゃないの?」
でも、2人は登りました。連続20回。まるで、円形の梯子をかけ登るモルモットのように。
 
97/11〜98/07迄の主な山行とトレーニング 

97/11 富士山(雪上訓練)
97/12 赤岳主稜登はん(女3人)
97正月 五竜岳(悪天の為西遠見迄)
98/02 大山縦走(剣峰〜中宝珠)
98/03 五竜岳(GOルート)
98/04〜05北鎌尾根
98/06 富士山(高所順応)98/06
98/06 蓬莱峡(モルモット訓練)98/07
98/06 比良山縦走(10Hコースを8Hで)
98/07 蓬莱峡(アイゼンワーク)
98/07 北尾根〜岳沢(ビバーク体験、ルートフアインディング)
*2日間で上高地〜涸沢〜5.6のコル〜本峰〜岳沢〜上高地の強行
山行をこなした。この山行が実に有効なトレーニングとなつた。
上記以外、殆ど毎週山に行っていた。


   【B型人間の計画書】
    B型=おおざっぱ

 計画書は意外にも簡単に出来た。本命はマッターホルン、高度順応にプライトホルン、後は観光だけ。

   〔スケジール表〕
8/08 12:00 関 空 発
17:25 シンガポール着
23:30  〃   発
8/09 06:30 チューリヒ着
12:42 ツェルマット着
  ベース(駅から徒歩五分のキャンプ場)
8/10 プライトホルン
8/11 ヘルンリH(泊) 取付迄下見
8/12 マツターホルン登頂
ヘルンリH(泊)or ツェルマット
8/13 ゴルナーグラード
  他 ハイキング
8/14
8/15 07:18 ツェルマット発
12:16 チューリヒ着
13:55  〃  発
8/16 08:00 シンガポール着
08:50  〃    発
18:35 関 空 着
 当初の計画は上記の通りだつたが、天候を考慮して10〜14日のスケジュールは前後しました。


【十字架にキッスを】の巻

 マッターホルンぐらいで壮行会をしてもらうのは、いかにも私ずかしくお断りしたのに、気のいい仲間達が集まってフレーフレーの声援を送ってくれた。嬉しかった。ここは是非とも可愛い小さな胸を奮い立たせ、十字架にキッスをしてこなければ…。壮行会をしてくれた仲間達よ、あらためて、有難う!!


【いい日旅立ち〜♪♪】の巻

 全国連盟の海外委員会と遭対委員会に計画書の提出も済み、いよいよ関空を飛び立つ日がやってきた。
8/8(土)
 ERIKO嬢と10:30難波で待合せて、関空へ。2人共重量オーバー(断っておくが、これは私達の体重ではなくザックの重さ)SQのお妹様が目に見てくれて一路シンガポールヘ。連日の仕事疲れでバク睡、気が付くとシンガポール。待時間を利用して無料市内観光へ。
23:30 再び機上の人となりチューリヒに向かう。隣席のスイスの美青年に目もくれず、(しかし、○○嬢は目をくれていた!理由:私もENGRISHが出来たら目をくれていた)またもや眠りこけてしまった。


回って、回って、まわ〜るううう〜♪
【消え去ったザック】の巻

8/9(日) AM6:30チューリヒ到着。
税関を無事通過して、ベルトコンペアの前で今か、今かと荷物を待った。
 ???荷物が出てこない ????ザックがない!!
俄に周囲がざわめき出した。20人位はいただろうか? シンガポールでの乗り縦ぎで、1カート分の荷物が紛失したらしい。ああ 第1日目にしてこのハプニング!
仕方なくザツクがないまま次の目的地であるツェルマットに行くことにした。SQのお妨様が、申し訳なく思ったのか空港内のレストランの朝食券をくれた。有り難くく頂戴し先ずは腹こしらえ、満腹になったらいい案が浮かぷかも。(2人はやっぱりノーテンなのだ)レストランに入ろうとしていると、お姉様が息を切らして走ってきた。
「荷物が見つかりました。COME BACK SOON!」
画して2人はただの朝食を頂いて、1時間半後、列車に乗り込みルンルンの旅を楽しんだのでした。
12:42ツエルマット着。ホテルはどこも花で飾られ、こじんまりと、とても奇麗れいな町だ。私達のテン場は駅から5。スーパーや土産物屋が近くてとても便利だ。
早々にテントを張って町へ。まず山岳ガイド協会でお天気の確認。ここのところずっ−と天気が続いているので崩れないか心配だ。協会の話では後2日位はもつだろうと言う。これは大変だ.高度順応なんかしてる時間が無い。予定変更。明日、出発だ!
ロ−プウェイの時間を確認しガスと食糧を買い込んですぐテン場に戻った。今日は此花の船田夫妻がこのテン場にいるはず、ERIKO嬢が日本から鯖寿司を差し入れに持ってきた。夕方、夫妻と楽しく食事をした。夫妻は、明日帰国。残った食糧や果物をたくさん差し入れてくださった。


【マッターホルンは大きかった】の巻
=あっ!メットを忘れた!=

8/10(月)
船田夫妻の見送りを受けていよいよ出発の時を迎えた。
7:40発のロープウェイに乗りシュヴァルツゼー(2555m)に向かう。
AM8:00快晴、青く晴れた素晴らしいアルプスの景観に、身も心も洗われてヘルンリHに向けて出発した。
 高度順応していないので、ゆっくりゆっくり景色を楽しみながら登る。
初老のおばぁさんが1人で登ってきた。頼りない足取りで、大丈夫かなあと思っていると、いつの間にか私達を追い越して、遥か彼方に行ってしまった。ジグザクの登山道を登ってAM 10:10ヘルンリHに到着。
目前にマッターホルンの雄姿を崇め、圧倒さた。山が大きいのだ!
ヘリが物々しく振回している.人間が3人救助された。何だか身の毛がよだってきた。休憩後、取り付き迄下見に行った。今年は雪が少なく取り付きが地面から剥き出している。何だか最初から厄介そうだ。気持ちの悪いスラブをトラパース。あっ!しまった。メットを忘れた。落石が多い。さっきも砂塵を巻き上げながら石がなだれて行った。下見と言えども登ることには変わりない。この基本的な事をもう忘れている。最初のクーロワールのところで下見を終え引き返した。
 明日は登れるだろうか…不安がよぎる。365日アルコールを欠かしたことがない私だが今日ばかりは飲みたいとも思わなかった。
 明日は3時起床、4時出発。夕食も美味しく頂いて、早々に床に就いた。
ERIKO嬢は少々頭痛がすると言っていたが、でも大したことはないらしい。


いざ 鎌倉へ!イヤイヤ マッターホルンへ!
【出 陣】の巻
   
8/11(火)
 鎖兜ならぬヘルメットとカッパを身にまとい、ヘッドランプの明かりを頼りに登り始める。登山者のほとんどがガイド付きだ。彼等達は3時半頃出発していた(2人はバカ正直だった)。
好調な滑りだし、天気も最高、手袋も要らない、アンダー1枚で充分だ。
2つ目のクーロワールを越え約25m程登り、左の岩稜を越え更に100M程登り、黄色味を帯びた岩のバンドに出た。バンドを終え再び稜の方に直登した。だんだん高度が上がるにつれペースが遅くなって行く。更にフェースを左にトラパースしていよいよモズレイスラプだ。他の登山者はアンザイレンしているが、私達はスピードを考慮してノーザイル。が、最初からソルヴェイの上下だけはザイルをつけることにしていた。
このスラブは相棒がリードしてくれた。(私は少し頭が重くなっていたのでホットした)
 AM8:00漸くソルヴェイ小屋(4000m)に到着。好調な滑り出しにしては4時間かかってしまった。上部は私のリードだ。 少々かぶり気味で先が見えない。いちかばちかだ!エイヤーと勢いつけて登った。ピンが少ない、2ケ所ランニングを取りビレー点に辿り着いた。暫く、稜線を楽しく登る。やがて雪田に出た。ここで、アイゼンを着ける。雪が少ないので、かえって登りにくい。雪田をすぎ、カンテを急なクラックと段をたどって直登する。太い固定ロ−プを捕まりながら登るが、岩の間は氷ついていてアイゼンが効かない。漸く、頂上斜面に出た。高度が高いので足が重い。一歩一歩雪を踏み締める。もうすぐ頂上だと思うと涙が込み上げてきた。

4778m
1998/8/11 AM11:48
ビューティーペア 登頂

 万歳!バンザーイ!

十字架が見える。ガスのかからないうちに記念の証拠写真を撮る。頂上には5〜6人の外人が、やはり喜びに浸っていた。PM12:00下山。下りの事を思うと悠長に感慨に浸っていられない。ほとんどが既に下山している。一刻も早く下山せねば。なにやら焦りを感じる。


【懸垂の支点は銅像の首】の巻

 頂上の手前に銅像が立っている。事もあろうに皆その首にザイルを巻き付けて、降りていく。何と不謹慎なと思いつつも我々も先人に見習って、首をお借りした。
何ピッチも何ピッチも懸垂をした。お腹や背中が痛くなった。空腹と疲れでエズク。エズいても何も出てこない。
 おとなしく懸垂待ちしていると、外人は゛そこどけ、そこどげ"式で平気で割り込んで来る。まったく!!彼らには安全意識がないのか?(当然きわどいところでピレーをして待っているのである)図々しい上にマナーなどまったく無い。我々みたいに“ザイル ダウンー”等とコールなどしないし、落石をおこしても“落−”等と叫ばない。人に当たろうが平気なのだ。当たった方が悪い。なにが紳士なものか。
しかし、後で解ったことだがザイルダウン等と不動みたいにザイルを放り投げれないのだ。下のパーティもビレーを取りながら待っているのに、上からザイルを放るわけにいかない。確保も岩角にザイルを巻き付ける簡単なもの。彼等の安全とはスピードのことなのだ。と言うことに気が付いた。スピード=安全。しかし、無礼なやつらだった。
 ソルヴェイの小屋も過ぎた頃、殆ど登山者の姿が見えなくなっていた。刻々と時間は過ぎ段々焦ってきた。でも、相棒には平気を装っていた。後続にはイタリアのパーティが一組いるだけ。
ルートが解らない!!何度もルートを見失う時折、口笛が人影のいなくなった山に響く。振り向くと、イタリアのガイドが×印の合図をしている。彼等と前後して降りた。暗くなってきた(ここは9時頃まで明るい)ヘッドランプをつける。遥か下方に小屋の灯が見えてきた。
PM9:45ヘルンリH到着。
もう1歩も歩けない。ヘクリ込んでしまつた。小屋の夕食はとっくに終わっている。それでもスープだけなら出してくれると言う。350mlのビール1缶(2人で)とスープで、2人の健闘を讃えて乾杯! *しかしコップー杯のビールがなかなか飲めなかった。
なが〜い、なが〜い一日でした。


  【素敵な岳人との出会い】の巻

8/12(水)
 AM8:00ゆっくりと朝食を楽しんで、ツェルマットヘと小屋を後にした。
今日もお天気は最高。お天気に恵まれ、なんと素晴らしい山行だったことか。
足取りも軽くルンルン下山。時折、日本人に出会う。シュヴァルツゼーに後1時間位のところまで下りた時、大きなザツクを背負い、ポタポタ汗を流しながら1人の男性が登ってくる。2〜3m程行き違って、同時に振り向いた。「あのう 日本の方ですか?」
「そうです。もしかして杉本さんですか?」
「はい。中岡さんですか?」
「はい、中岡です。」
中岡さんとは岳僚の方で、杉山さんからお互いの名前を聞いていた。
彼も女性2人でマッターホルンに登っていると聞いていたので、ピーンときたらしい。彼は杉山さんの為に、北壁の写真を撮りに来たそうだ。ツェルマットのテン場で夕食の約束をして別れた。
 無事、テン場に帰還し日本から持ってきた素麺を茗荷の薬味で食べた。
うまかった!シャワーを浴びサツパリした。(テン場は、シャワー.トイレ付き)2時過ぎプラブラ、町にでた。(2人共じっと出来ない性分)。今晩の宴の準備にとワイン,ビール,食糧をどっさり買い込んだ。
 夜、約束通り中岡さんがやって来た。まずは、ワインで乾杯。初対面なのに、それを感じさせない。いろんな話に花が咲いて、楽しい一瞬を過ごした。(ハンサムでとっても素敵な人だった。私があと十ほど若けりゃ…)
  どうしたって言うの?
  そりゃあ ムニュ ムニュ ムニュ…。


4164m白銀に輝くブライトホルン
【ザイルが無い!!】の巻

8/13日(木)           
 高度順応の必要が無くなったが、今日も快晴なので、プライトホルンに登ることにした。予定通りAM7:00出発。クライマッターホルン迄ロープウェイで行った。マッターホルンがよく見える。ああ、あの山に2人で登ったんだ。信じられない感慨に胸が一杯になる。ロープウエーはスキーヤーで満員。登山客は少なかったが、それでも何組かいた。ザックの上にザイルを載せているので、すぐ解る。あれ?私達のザイルは?無い!無い!初めっから、ザイルのことなど眼中になかったのだ。しまった!!.どうしょう!今更引き返す訳にもいかない。マッターホルンから帰ってきて、気が抜けていたのだろう。プライトホルンはクレバスがあるので、アンザイレンでいくのが常だが、しゃあない、ここはいちか
ばちかでノーザイルだ(イケイケの所以たるところ)。
 山頂駅の長いトンネルを抜けリフト沿いにコルまで下る。ブライトホルンが紺碧の空に眩しい。むちゃ天気がいい。広い踏み跡を進み次第に急になる南西斜面を登る。右ルートか左ルートか迷ったが左ルートをとった。所々クレバスが顔を覗かせ、こんなところに落ちたら生きて帰れないだろうと思った。
 AM 10:05約2時間弱で頂上に着いた。マッターホルンをバックに記念写真。
見る角度が違うので全く違った山に見える。そう言えば、数年前、滝上さん達が雷にやられた山だ。少しでも早く下山しよう。AM 10:15下山。
AM 12:30 ツエルマット着。午後は山岳博物館を見、ショッピングを楽しんだ。


登ざ〜ん電車が出来たので〜〜♪♪
だれでも〜登れる〜〜〜♪♪
【アルプスの熟女ハイジになった2人】の巻

8/14(金)
 今日は倒影するマッターホルンを見ようとゴルナーグラードヘハイキング。ベーターとヨーゼフはいないが、代わりに美女とワインとサンドイッチと洒落込んだ。
 駅前の登山鉄道GGBに乗り、終点のゴルナーグラードヘ。車窓の展望に飽きることなく(しかし、電車は殆ど全員日本人だった)眺め、堪能した。
ゴルナーグラードからモンテローザ(4634m)の稜線がまさにバラの花びらのように繊細で美しく見えた。性懲りもなく、いつかトライしてみたいと思った。
 ここからリッフェルゼー(マッターホルンの倒影が見える池)までプラブラ、トレッキ
ングを楽しみ、遠く、マッターホルンを見上げ、しみじみと感慨にふけった。
 日ごろの噴騒を忘れ、大自然に包まれて、私はアルプスの熟女、ハイジ?(ババではありません)ワインとサンドイッチをほおばりながら、欲張りな私達は、全行程を全て消化したんだと達成感と充実感と満足感で胸が一杯になった。
8/15(土)〜8/16(日)
 ツェルマットを後に無事帰国。


  完


  追記:後続の女性達の為に1年?(念)発起して書きました。